今日は昔勤めていた会社の同期とあった。気づくと彼は入社して8年目になるという。4年目に辞めた自分
にとって8年目というのは非常に重い。会社自身が合併を繰り返し2年に1回は社内でも社風の違う人間と
つきあっていかなくてはいけなかった状況はきっと大変だと思う。
元々自分が入った会社は外資系とはいえ400人足らずの小さな会社だった。それが3回の合併を繰り返す
うちに6,000人規模の会社になってしまったという。自分の同期の多くが大きな会社が嫌で名も知れぬ
小さな会社に入ったのに、いつのまにか自分が嫌っていたはずの大会社に身をおく状況になっていることに
なる。
ただ同期のうち営業に配属された輩の話をすると、残っているのがわずかということがわかった。自分が第
1号だったのは言うまでもないが、その後ちょこちょこと辞めて現在は残り3人とのこと。ここだけの話こ
の彼も近々抜けるので、残り2人になるらしい。特に今の会社は自分が元在籍した会社の社員に対して風当
たりが厳しいとのことなので当然といえば当然なんだけど、逆にいえばしがみついてでも残っていたいよう
な魅力的な会社ではないんだなぁと思った。
逆にエンジニア部門や管理部門に配属された人間の定着率はいい。かなり早い時期に女の子が辞めた以外
は、全員残ってる。こういう人たちは大きな会社に入っている恩恵を逆に今受けてるのか?と勝手に想像し
てるんだけど。昔は少ない人員で彼らが忙しいってわかっていても、働きまくってもらったからなぁ。
ちなみに自分の上司に至っては、一人を除き誰も残っていない。正確に言うと、当時批判をしていた、僕が
考える使えない上司はいまだ切られずに残っているらしい。
どうせリストラするなら、高い金もらっても仕事出来ないこういう人たちを辞めさせればいいのに。ただ猫
に鈴つけられる勇気のある人がいないんだろうけどさ。
現在実家に滞在中です。ここにはまだインターネット常時接続環境がありません。ましてやアメリカのよう
にローカルなら電話代は月額料金に含まれるということもありません。従ってオンラインになる機会が著し
く減っていること、ご容赦下さい。
とはいっても今実家でもADSL加入の方向に持っていっているので、あと2週間もすればいい環境がもて
るかと思いますが。
今日は母校のフットボールを観てきました。コーチが私のHPを宣伝してくださったので、良くも悪くも私
のHPを選手を読む可能性が高まったと認識してます。なので試合についてのコメントはさけることにしま
した。ここ4シーズン、アメリカでフットボールを間近で見てきて、環境が違いすぎ、比較すること自体が
全く意味のないことだと思いますので。ただ母校を思う気持ちは同じで、どんな環境であっても秋の試合で
は勝つことを期待してしまうのは仕方のないことでしょう。
ただ折角日本にいるので、現場の話を聞きながら現在の日本の状況を把握したいなと思ってます。自分が将
来どうするかはわからないけれど、日本帰国は消えようのない選択肢だから知っておくことは自分にとって
損はないはず。もちろんただ知るだけでなく、今後どうやったら貢献出来るかなとも一緒に考えてますけど
ね。
ただトレーナーやるだけでは、全く状況は変わらないでしょ?
夕方に弟と甥が遊びにきてくれた。しばらく会わないうちに甥っ子ちゃんは4歳になって、すっかり大きく
なっていた。
大きくなっていたばかりでなく、当たり前だが話す言葉がしっかりしていた。聞き取りには問題ないし、受
け答えも問題ない。自分も約3年半アメリカにいることになるが、言語学習能力という点では彼に遠く及ば
ない。
彼と遊ぶことで流行の節々を知ることが出来た。自分がみたヒーローものはゴレンジャーやジャッカー電撃
隊だったが(古っ)、今はアバレンジャーというらしい。しかしよく考えると安易なネーミングは全く変
わっていないのが
面白い。彼はそのテーマソングも歌ってくれた。昔ささきいさおが歌ったような、勇ましい8ビートの曲調
もまったく変わっていなかった。映像技術、服装など表向きな部分は変わっても、この手の番組のつくりや
本質は変わっていないのだろう。
それ以外でも「なんだろなー」という曲も振りつきで教えてもらった。小さい子がやると非常にかわいい
が、大人の芸人がやるときはどんなときなんだろう?と思ってしまった。
童心にかえって子供と遊んだ半日だった。
今日は母校の研究室に顔を出した。在学時指導していただいた教授はすでに退職されたが、その先生以外は
変わっていなかった。さらに自分の同期が現在助手としてそこに残っているため、結局スタッフ全員を知っ
ていることになり、気楽に立ち寄ることが出来た。
ただ前もって電話してみると今日はゼミやセミナーで忙しいということなので、先にバーバーソフィア(通
称バーソフィ)に立ち寄ることにした。
行ってみるとお客さんはいなくて、店主は暇そうにしていた。自分の名前を言うと思い出したらしく、昔話
に花が咲いた。ここでは部活の先輩後輩の消息、及び近況(特に結婚した離婚した)が聞ける。なかなか貴
重な所だ。一つびっくりしたのは、いつの間にかカットが2,000円の大台になっていたことだ。自分が
いたときは確か1,700円か1,800円だったのに。
その後時間があったので、グランドに行って部活の見学をしてくる。知っている人は誰もいないが、OBで
すというと丁寧に応対してくれるのがうれしい。話をすると去年来たときを覚えてくれていたマネージャー
もいた。有難い話だ。しばらく練習を見た。部員が大きく減り、部の雰囲気もかなりかわったが、それでも
勝つことを目標にがんばっている後輩を見るのは悪い気分じゃない。今後どうやってこの部に手助けを出来
るか、自分なりに考えてみたりした。
夜6時半頃になって、ようやく研究室に行き先生と同期に会った。皆少し年取った以外は、全く一緒だっ
た。ATCになったこと、GAのポジションが取れたこと、大学院に又行けることを報告すると素直に喜ん
でもらえた。大学で専攻したこと以外のことを卒業後にやるといい顔をしない研究室もある中で、この寛大
さにはほっとする。そのお陰で卒業後7年経ってもこうやって
戻ってくることが出来るんだけども。
確かに学生は変わった気がする。学校も施設、内容ともに変化している。それでもこうやって母校に気軽に
立ち寄れる自分の境遇に、ちょっとだけ幸せを感じた。
やっぱり時差ぼけにより早朝に起きてしまい、夜は早く寝てしまった。すぐになれるとは思うけど。
今日は前々から欲しかった携帯のCDプレーヤーを買いに行くために秋葉原に行った。長いバスの遠征では
必需品なのだが、アメリカのCDプレーヤーは安いけど、どうもちゃちい。またすべて乾電池しか使えず、
乾電池が日本ほど安くないアメリカではトータルなコストを考えた場合、安いのを買ってもお得とは思えな
いため。
近くの駅から電車でと思ったけどお金ないし時間はあるので結局家から自転車で行くことにした。しかもマ
マチャリ。
でも丘や山があるわけでなく、30分ちょっとで秋葉原に。3件回って一番安いところで気にいったのを
買った。これで今後はみんなと同様でバスで音楽が聴けると思うと、ちょっとうれしい。
おまけでADSLのパンフも集めた。親が今その気になってるし、自分も日本滞在中、インターネットに常
時接続出来ないのは非常に不便なので。こればっかりはあらためて日本は安いと思った。Yahoo
BBならこみこみで8Mで月々3100円ちょっとだもんね。アメリカなら1Mで40ドルは平気でするよ。しかも局から遠いから実測遅いらしいし。どれがいいのか、また機具
はレンタルか買取がいいのか少し見るけど、あと数年したら光ファイバーがもっと普及するだろうから、モ
デムはレンタルでいいかなって思ってきた。
日本でADSLを使っている人たくさんいると思うので、知ってる方情報下さい。
取り急ぎ帰国しました。現在時差ぼけ真っ最中です。フライト
そのものは順調で、遅延なく成田につきました。東京は梅雨で
午前中雨が降っていたみたいですが、僕が実家に帰ることは
運がよく晴れていました。
家に帰るとひとつむかついたことが。大きなバッグの鍵が壊れて
いました。最初は運搬で放られている際に壊れたと思っていまし
たが中をあけると一枚の紙が。
(ここから抜粋)
Transportation Security Administration
To protect you and your fellow passengers, the
Transportation
Security Administration (TSA) is required by law
to inspect
all checked baggage. As part of this process,
some bags are
opend and physically inspected. Your bag was
among those
selected for physical inspection.
空の旅の荷物チェック係がX線だけでなく、実際バッグを開けて
チェックをするようです。(なんのためのX線だ?)普段、懸賞に
当たったことは皆無なのに、僕のバッグはめでたく選ばれたものに
なったようです。でもアメリカから出るバッグにそこまでする
必要があるの?
(中略)
At the completion of the inspection, the
contents were returned
to your bag, which was resealed.
お陰様で折角きれいにつめたのに、必要以上にぐちゃぐちゃになって
いました。TSAさんありがとう。
If the TSA screener was unable to open your bag
for inspection
because it was locked, the screener may have
been forced to
break the locks on your bag.
そうなら一言言って下さい。言われたことは「これロックしてあります
よね?」だけ。なので「そうです。」と答えました。言ってくれたら
自分で開けたのに。
TSA sincerely regrets having to do this.
However, TSA is not
liable for damage to your locks resulting from
this necessary
security precaution.
誠に遺憾ながら鍵を壊しましたが、弁償はしません。だって安全の
ためだもん、と言ってます。むかっ。だったら開けてくれって言えよ。
ニューオリンズから成田への乗り継ぎがヒューストンのジョージブッシュ
国際空港だったので(テキサスでテロの噂が流れている)、厳戒態勢
は理解出来るものの、時間に余裕があったのにもかかわらず何も言わず
に鍵を壊されたのには納得出来ませんでした。だってスーツケース一つ
無駄になる可能性だってあるんだからさ。(実際僕のバッグは鍵とバッグ
一体型)
一応文句の言うところの連絡先が書いてあるので、mailでもしようと
思ってるけど、命に比べれば安いって言うんだろうな、きっと。
2003年06月24日(火) |
ミシシッピから実家へ |
もちろんこれは後で書いているが、今日は一日中移動をして
いたことになる。朝5時45分に起きて、6時15分に宿を借りた
家(@ニューオリンズ)を出発。6時35分、空港着。
あとは完結に書こう。時間はアメリカ中央時間。
8:45am - 10:00am ニューオリンズからヒューストンへ
10:40am - 12:20am (日付変わる) ヒューストンから成田へ
1:25am - 3:00am 成田から電車で実家へ
こうみると21時間ぐらい移動しているのがわかった。今回
は運良くニューオリンズの知人宅にとめていただいたが、
それがなければH'burg - New Orleansの2時間の車移動が
加わる。そうなると23時間の移動。飛行機の乗り継ぎが
悪ければ24時間は簡単に突破するな。
ミシシッピはやっぱり遠いと実感。
2003年06月23日(月) |
日本一時帰国に向けて |
今日の夕方H'burgを出発してニューオリンズに向い、明日
日本に帰るというのに全く用意が出来ていなかった。それ
どころかやらなくてはいけないことがたくさんあった。
まず学校に行って、NATABOCに送る成績証明書を発行して
もらった。試験の申込み時はまだ学校に在籍したので
卒業してアスレティックトレーニングの学位を受けたのを
証明する必要があるらしい。もらったとは早速そこに
送った。
帰る途中にはトレーニングルームによって、スタッフの人
たちに試験に合格したことを伝えた。聞くところによると
他に2人ほど受かったらしい。でもこの中に一緒に試験を
受けに行った友達の名前は入っていなかった。彼らは
どうだったんだろう?
その後銀行にいって自分が使用するchecking accountに
関する質問をした。最近飛ぶようにお金が出て行き、必要
残高割れをするのが明らかだったからだ。結果、どうやり
くりしてもこのままではペナルティーが発生することが
判明。緊急に日本の自分の銀行に電話し、自分の口座から
こっちの銀行に必要分を送金する手続きをとった。
家に帰ると、健康保険会社に関する文書を作成し、送付
した。以前ど阿呆アメリカ人(イニシャルM)にぶつけ
られた際、しばらく調子が悪かったので念のために病院
で検査を受けたのだが、金額が小さくないためか保険
会社はすぐに処理をしたがらず、あらためて詳細を求めて
きた。彼らいわく第3者で支払う義務があるところがある
はずだと。しかし車はliabilityしか入っておらず、向こう
は会社ぐるみでトンずらし、学校のクリニックが保険で
すべてカバーされるから病院に行けと言われたのだ。自分
はただそれを説明する文書を書き、嘘だと思うのならここに
電話してくれ、と車の保険会社と学校のクリニックの番号
を入れておいた。そもそもその担当者のお金ではないんだ
からとっとと払ってよ、全く。今まで高い保険料払っても
全く使ってこなかったんだから。
そして最後にケーブルTV会社に行き、7月以降のサービス
を止めてもらった。今度戻ってきても4日しかH'burgに
いないしね。
最後にばたばたしながらようやく荷物を詰めて、今晩一泊
お世話になる方の家に向けて出発した。
もっともこんな慌てて用意したので、忘れ物が多かったこと
は言うまでもない。
2003年06月22日(日) |
阪神浜中の怪我とアスレティックトレーナー |
ちょっと話が古いけど、好調阪神の4番を努めていた浜中が
右肩脱臼のため戦線離脱したらしい。別に浜中と言う選手
を知らないし阪神ファンというわけでもないが、話を聞い
て彼が少しかわいそうになった。
インターネットの記事だけしか情報が入ってこないので、
彼の過去の右肩の怪我は右肩捻挫しか知らない。しかし
右肩捻挫して、まだ治りきっていないとはいえボールを
投げただけではずれるだろうか?
勝手に想像すると過去にも脱臼、もしくは亜脱臼の経験が
あるか、それとも1方向、もしくは複数方向へのlaxityが
があったように思う。どちらにせよ肩の周りの靭帯がゆる
いはずなので、相当肩の周り、前後の筋肉を発達させる
必要があったであろう。
記事によると浜中が出れるようにコーチに直訴したと言う。
それで監督が意気を勝って出したら怪我したと。ちょっと
待って。彼は本当に出場できるほどの怪我の回復、及び
十分な筋力があったのだろうか?そもそも日本のプロ野球
では誰が選手の怪我の状況を判断して、出すか出さないか
を決めるんだろう?
通常欠場するほどの怪我なら医者のはずである。コーチ
はトレーナーから医者の話を聞き、選手の状態を知る
べきである。なのに全く彼の状況が入ってなく、ただ単に
気合で出させておいて、怪我したら、彼いわく彼なりの
愛情を注ぐと言う意味で、忘れるというのであろうか?
プロ選手は試合に出てなんぼ。ましてやチームに勢いが
あるのなら少しでも乗り遅れまいと思うのが本音。若い
のならなおさら。しかし2位との間が二桁ゲームに届こう
とする段階で無理して彼を出す必要があったんだろうか?
自分も右肩完全脱臼を2度しているので、それがどういう
ものだかわかる。はっきりいって、彼の肩はプロレベル
の守備で少なくとも使い物にならないと思う。最悪DHを
採用するパリーグに行くしか道はないのではないか、と
すら思ってしまう。
一体、阪神のトレーナーはどんな仕事を担当しているん
だろう?
今日は友人とGulfportまで行ってきました。現在彼は車
を所有していないため遠出できず、蓄えの切れた日本食の
買出しが必要になったからです。
久しぶりに49を下ると、新しい発見ばかりでした。途中
のWigginsでWalMartが出来、そのために信号機が新設さ
れていました。このためGulfportという街を出た後、49
をまっすぐ北に上がって最初の信号にぶちあたったらそこ
はHattiesburgという案内が出来なくなりました。(注:
Gulfport-Hattiesburg間は70マイルぐらいあります。)
その後も途中で新しいHighwayが建設されていたり、
住宅地が開拓されていたりして、ミシシッピのメキシコ湾
沿岸の街が拡大されているのが肌で感じ取れました。
カジノ、地元経済への影響強し。
目的の所につくと、まずは韓国料理屋で食事。ビビンバ、
チゲ鍋、ラーメンを2人で食べました。ラーメンはちゃち
かったけど後はおいしかった。でその後は友人が隣で
日本食の買い込み。その量の多さにびっくりしてしまった。
すごく買ってくれてうれしかったのか、お店のおじさんが
おまけで栄養ドリンク(しかし韓国製)をくれました。
なんかいかにもアジアっぽいサービスでしょ。
その後は雨の中家路につきました。びっくりしたことに
友人の家の前で水があふれ、車が立ち往生してました。
牽引されてようやく脱出、その後家に帰ろうとすると
今度は家の近くで水があふれていてしばらく家に戻れず。
結局帰ったのは6時をすぎてました。とほほ。
2003年06月20日(金) |
雪崩式に行き先は決まっていった。。。 |
昨日NATABOCの試験に通り、ATCになれたとこの日記で
報告しました。同様に親しい友人や学校関係者にも
報告しました。皆さん暖かい言葉、本当にありがとう
ございました。
この試験をパスしたことにより、自分の進路がはっきり
しました。この結果を待っていたように、GAの正式
オファーが届き、その大学院の学科からも正式の文書
ではないものの、emailにて入学許可の通知をもらい
ました。(今後、事務的な書類作成のみとのことです。)
おまけに先日下見したアパートの方の審査もOKをもらい、
あとはI-20が来てそこへ引っ越すだけとなりました。
散々もったいぶってきましたが、ようやく正式の話を
いただいたので今後の行き先をここで発表します。
Quinnipiac UniversityというConnecticut州に
ある小さな私立大学でGAのアスレティックトレーナー
として働きながら、大学院でMolecular and cell
biologyを勉強することになりました。場所はYale
大学で有名なNew Havenのほど近く、Hamdenという
都市です。
それにしても今回試験に受かったからいいものの、
落ちてたらどうなっていたんだろう?と考えた1日
でした。
2003年06月19日(木) |
待ちかねたGood News |
今、知人の家にお邪魔しているので長くは書けませんが、
手短にみなさんにお伝えしたいことがあります。
お陰様で先日受けたSimulationの結果が出てNATABOCの
テスト、3科目すべて合格するに至りました。よって
「ATC」
となれたことをご報告致します。現在の心境はうれしい
というより、ほっとしたという方が強いです。これから
じわじわうれしさが出てくるのでしょうが。
これでトレーナーとしてようやくスタート地点に立てた
かと思っています。まだまだ勉強することいっぱいです
が、地道にがんばっていこうと思います。
心配して下さった方々、ありがとうございました。
2003年06月18日(水) |
電子的な署名の仕方? |
昨日話したマイク付きヘッドフォンですが、別にヘッドフォン
を持っている人はマイクだけ用意できれば結構です。これで
音声チャットが出来ます。マイクだけなら秋葉原で500円も
出せば変えるでしょう。
今日はU-Haulに行って借りるトレイラーの大きさを確認し、
牽引するにはどんな装備がいるか確認してきました。どうやら
向こうが貸してくれる装置以外に、自分で別に用意しなくては
いけないものがあることが判明。そこでも買えるとのことだが、
高そうなのでウォールマートでそろえることにする。しかし
どれなんだかよくわからない。なので明日もう一度行って部品
を確認することに。
それ以外では一時帰国用のチケットをとりました。クレジット
カードで購入の際はサインが必要といわれ、送ったメイルの
下の欄にサインしてFaxお願いしますと言われるも、うちには
Faxがない。なのでプリントアウトしてそれをスキャンして
画像としてemailで送るのはどうか?というとそれでもいい
とのこと。こっちのが安上がりなのでそうすることにした。
後で無事読めましたとのメイルが入り、無事チケット購入。
これでしばらく日本に帰れるぞ。
それにしてもプリントアウトすると紙の無駄なので、自署の
サインを電子的に文書に挿入できるソフトは普及しないのだ
ろうかと思ってしまう。それともサインをスキャンしてそれを
画像として保存し、必要に応じて挿入すればいいのか?でも
それじゃセキュリティの面で危ないよなぁ。文書に画像はめ
こんだら、他人がその画像保存できるし、あっ、PDFにすれば
いいのかな。
ごめん、独り言が長すぎた。
2003年06月17日(火) |
おもちゃを買いました |
今日なんとなくだがハドソンズに足が向かい、どんな
ものを売っているか見てきました。どこかの小さい
電器屋さんがつぶれたようで、いくつか電化製品が
おいてありました。
ぼくが悩んだのはCDウォークマンとマイク付きヘッド
フォン。どちらも欲しかったけど、お金の都合上安い方の
マイク付きヘッドフォンを買いました。それでも決して
安くはないけど(約10ドル)半額セールにつられてしまい
ました。
これを買うと何がいいか?Voice over IP、いわゆる
PC同士でインターネット電話が出来るんだよね。つまり
日本にいる友達と無料で会話が出来るということ。これ
はメリットが大きいし、使わないわけにはいかないでしょ。
ただ実際どれくらい音質がいいのかわからないので、家に
帰ると早速やってみました。MSNのメッセンジャーにログ
オン、友人を探す。いた、一人。早速音声チャットに招待。
しーん。
彼はマイク兼スピーカー付のPCがなかった。がっかり。
常識的に考えれば持ってる人は少ないよね。
常時接続環境にあって、マイク付きヘッドフォンを持って
いる方、一度音質を試したいので音声チャットをしてみま
しょう。ご参加お待ちしてます。
2003年06月16日(月) |
ここを去るための準備 |
コネティカットから帰ってくるとミシシッピは暑くて
仕方がない。毎日短時間だけど集中して雨が降るから
きっとゴルフ場もびしょびしょで、あまりいい条件で
プレーさせてもらえそうにないし。
なのでひたすら引越し関連の作業を進めています。
Webでいろいろな所から見積もりとってるけど、やはり
トラックをレンタルして自分の車を牽引するとかなり
高くつくね。700ドルはくだらない。なので逆に小さな
コンテナーを借り、自分の車でひっぱっていくことに
しました。これならトラックを借りる費用の5分の1
以下になるし。
それと並行して帰国のチケットも見積もりを取り始め
ました。新しい学校からI-20を発行されるのは7月
以降にずれこみそうなので、ならば帰る必要があるか
なと思って。正直に言えば新しくI-20をここ滞在中に
発行されても、帰ろうかなと思っていたけどね。
さらに家のものを片付けはじめました。トラックを
レンタルしないと決めた以上、身軽にならないと
いけません。どうしてもベッドはもっていきたいので
それ以外で売れるものは売ろうと。でも日本人や
ELIの友達がいないので、苦戦を強いられそうです。
誰か小物を買ってくれる方いませんか?おまけで
カウチをプレゼントします。
2003年06月15日(日) |
日記のネタに困らない一日 3(完結編) |
これはおとといから続いている日記の続きです。
目の辺りにしたものは何か?完全に閉めたつもりのドア
が少し開いていたのだ。俗にいう半ドア。案の定ドアを
あけても室内灯はつかない。
冷や汗がたらーり。
一応鍵を穴に入れて、エンジンをかけてみる。全く応答
がない。
やってしまった。バッテリーが完全にあがってる。急いで
周りを見渡した。ケーブルを使ってジャンプスタートを
しなくてはいけないからだ。しかしただでさえ深夜1時半。
駐車場は24時間開いているとはいえ、こんなときに車を
出し入れする人はいない。最後のバスで空港から来た人
もすでに帰ってしまったようだ。
まずは管理人兼レジのおばさんに訳を話す。自分の車を
利用してもいいがケーブルは持ってないという。なんだか
ケーブルを買うのはしゃくなので、とりあえずじゃ他の人
を探すことにした。
駐車場の隣にガススタンドがあるので、明るいし、そこに
いってガスを入れに来る人に聞いてみようとした。
しかし空港というものはそもそも人里はなれた所にあるもの。
なかなかガスを入れに来る車は来ない。何回か来た車
を止めては状況を話し、手伝ってもらおうとしたが
なかなかいいといってくれる人はいない。タクシーの
運ちゃんが手伝ってあげたいけど、今仕事で電話があって
お客さん迎えにいかなきゃいけないから、というのが
唯一やさしい言葉だった。
考えてみればこんな真夜中に日本人一人がガススタンド
に立ち、いきなり声をかけてくるんだからかえって気味が
悪いだろう。実際かなり怪しまれて、ある車にのっていた
黒人女性は窓すら開けてもらえず、手であっちいけとやら
れてしまった。
それともう一つ、ここはルイジアナ・ニューオリンズ。
よくよく考えればかなりやばい都市だった。何回か声を
かけているうちに明らかに飲酒運転の人や、それ以上に
お酒なのか薬なのか何かでトリップしている人にも出くわ
した。声をかけた瞬間「やばっ」と正直思った。拳銃でも
持っていたら下手したらやられている所だったかも、と後
になって考えた。きっと彼らは真夜中にわけのわからん奴が
近づいてきたので怖くて正当防衛で撃ったといいかねないし。
そう考えたら自分のしていたことが非常に怖くなった。
結局ガススタンドのショップで仕方なくケーブルだけは買い
(これがめちゃ高い)駐車場に戻った。時計はすでに3時を
回っていた。相変わらず駐車場の中に人の気配なし。仕方なく
動かない車内に戻る。朝に誰か来るまでは動いても仕方ない
なと思い、座席に横になった。
あぁ、AAAに入ってよけば良かった、それともGeicoの
緊急サービスかなぁ、などと考えた。またただバッテリー
があがっているだけじゃなかったらどうしよう?とも考えた。
その場合、また車を牽引してもらうか、誰かに助けにきてもらう
しかないなぁ、でもどっちにしても金がかかるなぁ、という
ことが頭をよぎった。どっちにしてもいいことではない。
こんなこと考えても仕方ないので、ふて寝しようと思ったが
ここはニューオリンズ、夜でも暑苦しい。また窓を開けると
蚊が入ってきて、容赦なくぼくを襲ってきた。暑苦しいは
蚊にはさされるは、かといって他に行くところはないは、
最悪だった。
もんもんとそれから2時間近くがたった。朝の出発便のため
に駐車場に車を入れにくる人がぽつぽつ出始めたので、また
外に出て、声をかけまくった。しかし彼らは出発便に遅れない
よう、同情はしてもごめんねと足早に去っていってしまった。
絶望に近づいてきた。今日はすでに土曜日。考えてみれば
どこの修理工場も休みだ。牽引してもらっても修理は月曜に
なりかねない。もう空港に戻って、バスでハティスに戻ろう
と考えた。車はもういい。またいつか取りにこよう。例え
駐車場代を払っても事情を話せばべらぼうにはとられない
だろう。とにかく疲れた、家に帰って寝たい、そればかり
が頭をよぎった。
そんなとき、一人の男性が声をかけてくれた。夜勤の女性
に変わって昼間のレジ兼運転手をする人だった。夜勤の女性
から事情を聞いたのか、すぐに彼の車を回してくれた。
そしてケーブルをバッテリーにつけて、彼は車をふかす。
それに応じてぼくはエンジンを1回2回かけてみた。しかし
かからない。バッテリーそのものがいかれたのかと思った。
しかししばらくして、もう一度試す。今度はアクセルも思い
切り踏み込み、そのままにした。そして待望の時はきた。
「ブルルーン」
やっとエンジンがかかった。まじでうれしかった。おじさん
もよかったね、とにっこり。しばらくエンジンをかけっ放し
にしておいて、その間におじさんに何度もお礼をいった。
お金を払って駐車場を出た時、ようやく生きた心地がした。
その時すでに6時20分だった。ハティスまでの道のりは
多少途中で眠くなったが、それでも安全に飛ばした。そして
無事家に到着。月曜日以来の我が家に、感激ひとしおだった。
こうしてコネティカット遠征が終わった。ついてないこと
がこれだけ続いたのだから、今後いいことが待っていると
思い、早々にベッドに入って爆睡した。シャワーを浴びる
ことを忘れるぐらい早くに。
2003年06月14日(土) |
日記のネタに困らない一日 2 |
これは昨日の日記の続きです。
レンタカー会社に車を返し、空港に送っていってもらった。
E-ticketは便利で、特にUS Airはその専用端末がある。
自分でピコピコ画面を押すとすぐにチェックインが出来た。
手荷物検査を受け、案内されたゲートに行くとあれまだ
明かりがついていない。おかしいと思うと、3時半出発が
悪天候により4時20分に変更されていた。確かにこの空港
まで来るのも雨が強くて運転が大変だった。なんだ来る前に
外で昼食ぐらいとる時間があったんだと気づくも、乗り換え
でフィラデルフィアにすぐつくから、そこで何か食べようと
考えた。
しかしこの後2度、出発が変更され最後には5時となった。
それでも持ってきた新聞を読んで時間をすごしたので、
それほどいらつかなかった。5時になってようやく搭乗。
中で出発を待った。ところがなかなか出発しない。
しばらくして「出発変更の連絡が伝わっておらず、今から
調整します。出発は6時10分になる予定。」とアナウンス。
おい、それまで飛行機の中でいろというのか?と思うも
事実そうだった。その間すまなさそうに、一度ジュース
が運ばれてきた。それでも飛行機内は乾燥して、もっと
欲しかったが。
で6時過ぎにようやく出発、7時過ぎにフィラデルフィアに
つく。次の便が7時55分発なので、急いで乗り換えをしな
くちゃ、と思うとすでにそのフライトは8時半に変更に
なっていた。今日のフィラデルフィアの天候はひどいらしく
どの便も影響を受けていた。なーんだ、それなら十分に
時間があるじゃんと思い、空港の中をいろいろと回った。
さすがフィラデルフィア、大きな空港内はいろんなお店に
あふれ、売店もいろいろな料理を提供していた。もちろん
アジア料理もいくつかあった。お腹減った時は中華でしょ、
と思い、中華のところへ。案の定、ご飯と具をたくさん
入れてくれた。こうして遅い昼食兼夕食を思う存分食べる
ことが出来た。
しばらくして搭乗口に行くと、ゲート変更とのこと。結局
1時間前に出てきたゲートの隣のゲートまで戻らされた。
8時半、でも搭乗口は開かない。また遅れるらしい。9時
すぎになって、ようやく乗り込むことが出来た。それでも
悪天候のせいで出発便の順番待ちが多いらしい。なかなか
そのウイングから動かなかった。
30分くらいしてようやく動き始めた。順番に滑走路に
向かう。さて自分の便まであと4つ目ぐらいというところ
でまた不幸が起きた。周りをみるとものすごい雨と雷と
なっている。しばらくしてアナウンス。「悪天候のため
管制塔より発進が見送られています。しばらくお待ち
下さい。」まじかよ、また飛行機の中で待機?と思う。
しばらくが長かった。2時間以上機内に閉じ込められ、
結局出発出来たのは11時過ぎだった。この時点で機内の
人はかなりぐったりしていた。
それから2時間少しかけて、飛行機はようやくニューオリンズ
についた。ニューオリンズはやっぱりじめじめしていて、
暑かった。それでもやっと家に帰れるかと思うとうれしかった。
疲れたし、早く帰ってシャワーを浴びようと考えていた。
駐車場まで連れていってくれるシャトル便を待ち、それで
駐車場に向かった。あと2時間運転すればハティスに
帰れる、自分のベッドで寝れる、といったことばかり考えて
いた。駐車場につき、自分の車の前でおろしてもらい、さぁ
帰ろうとドアに手をかけた。その瞬間、ぼくは信じられない
光景を目の辺りにし、目の前が真っ暗になった。
「嘘でしょ?まじ?」
それしか思いつかなかった。
明日に続く。
2003年06月13日(金) |
日記のネタに困らない一日 |
今日はコネティカット滞在最終日。こんなに日記のネタに
困らない日になるとは。なので、小出しで2日分けて書こう
かと思います。
今日はアパート探しの件。
午前中しか時間がなかったものの今日もアパート探しに励む。
11時までに気に入った物件がなかったら、昨日の二者択一に
なるからだ。まず連絡をとっていなかった残りのよさげな物件
に電話。留守電なので住所を頼りに直接大家の元へ。ここは
残念ながらすでにレンタル中という返事。
次に友人に言われたとおり地元の新聞を買って、物件探し。
自分が探している地域では、学校の案内やウェブで調べた
ものとほぼ同じものしか出ていない。それでも一つよさげ
なものがあったので、そこに電話してみる。今知ってるだけ
ではない、と言われへこむ。それでも一つあてがあり、そこ
に連絡するから10分後にもう一度電話して、とのこと。仕方
なくそうすることにした。
で10分後、連絡すると一つあるわよ、とのこと。名前を聞いて
まだ調べてないところだとわかり、部屋見学をお願いする。
30分後に現地集合となった。そこに行くため外に出ると大雨
だった。聞いた住所だけを頼りに(それでも宿泊ホテル沿い
のはずなので、曲がったたりせずひたすらまっすぐ行くだけ
なのだが)車を走らせた。どうにか見つかったが、思ったより
遠い場所だった。
行って物件紹介会社の人と会い、中をみせてもらう。耐えら
れる程度といっておこう。イメージとしてはUSMの寮に各部屋
キッチンをつけた感じ。もちろんStudioタイプだ。洗濯機、
乾燥機も共同。それでも一応清潔感は感じたし、周りの環境
は静かそうだし、何より家賃でここにすることにした。なんと
ようやく現在の家賃の2倍以内での物件が見つかった。その
分学校からは遠いんだけど。(New Havenに限りなく近い。)
願書を書きいれ、提出しようとするとこれを管理会社に自分
でもっていけと。なんだよそれぐらいやってくれ、と思うも
1ヶ月分のdeposit兼application feeが現在持ち合わせて
いないことを交渉するために、自分で行くことに。
どうにか迷いながら事務所につき、事情を説明し、後から
必要書類+小切手を郵送することで決着した。はやいもの順
ということで、来週早々にこれらを速達で送る必要があるが
それでもようやく今回の訪問なしでは出来ないことがすべて
終わり、ほっとした。後はHartfordの空港に戻り、レンタカー
を返してミシシッピに帰るのみだ。
この物件で物件紹介会社と管理会社と会っていたため、昼食
時間がなくなり、その足で空港に向かうことにした。
明日に続く。
今は眠いので、もしかしたら明日書き直すかも。
今日はアパート探しに奔走しました。見知らぬ土地で
いい物件を探すのは大変なことです。今日見た中で
2つこれというのがあったけど、どちらも帯に短し
たすきに流しでした。
それより東京より家賃が高いってどういうこと?
先輩宅に一泊させてもらった後、9時過ぎにNYCを出発。
途中工事や交通量の多さで渋滞が起き、NYCをでるのに
45分かかってしまった。その後も田舎のコネティカット
でなぜか渋滞があったりして、11時に現地到着予定が
11時45分になった。それでもアポは1時なので全く問題
がなかったんだけども。
アポの時間まで昼食をとりながら、質問や受け答えを
考える。それでも結局はたいしたことを考えずいつもの
ぶっつけ本番となる。
1時。リクルート担当の先生と初対面。そこでいろいろな
話をし、質疑応答をしたあと学校ツアーへ。
昨日も書いたように校舎は山の中にあり、のどかな田舎
といった感じ。煉瓦造りの建物が多くてきれいで、それ
以外は芝に囲まれ、まるで郊外の女子大のような雰囲気が
ある。体育会用のグランドは一部を除き一箇所に集められ
移動には楽そう。
その後トレーニングルームに行き、スポーツメディスン
スタッフに会う。ヘッドトレーナーは穏やかな方で、
レッドソックス配下の2Aでトレーナーをしていた時、
阪神タイガースのスタッフと仕事をしたことがあるという。
こんなところで阪神の名前があがるとは思わなかった。
他の二人のスタッフはふたりとも女性。ただ挨拶しただけ
でどんな子かわからないが、二人とも若いのは確かだ。
トレーニングルームそのものはこじんまりした感じ。
テーピングやトリートメントテーブルの数もUSMのそれより
少ない。ただヘッドトレーナーが話していたようにフット
ボールやレスリングなどがない学校にそれほど大規模の
設備は必要ないのだろう。製氷機も小さかった。外との
アクセスの扉も小さかったが、フットボール選手などを
運び込むことはないから、これでいいんだろう。それでも
ちょっとがっかりしたのは否めないなぁ。下手したら
ミシシッピの大きな高校のトレーニングルームのが立派
かも知れない。
そして自分が専攻する学科のビルに行く。ここにくると
なるとぼくはなんとBiolody majorとなる。そこでキーマン
となるであろう先生達に挨拶をした。実験室を見て回ったが
昔を思い出してしまった。化学も生物もそれらの実験室の
様子はほとんど変わらず、控え室となる部屋は文献や雑誌
でちらかっていた。
最後に留学生オフィスの人と顔合わせをした。そこでなんと
送っていたはずのTranscriptがすべて届いてないことが
判明。さすがアメリカの郵便システム、なくしてくれた
らしい。ミシシッピに帰ったらすぐに送りなおすことに。
I-20の話しもしたが、大学院から決定が出次第すぐに発行
するとのこと。GAの仕事が8月頭からはじまる事情も話すと
それには間に合わせてくれるとのことなので、一番の心配
ごとも解決した。
そして5時ごろすべての見学を終え、リクルート兼今回の
コーディネータ役の先生と別れた。学校は小さくて田舎に
あるが、その分のんびりしていて人も穏やかそうに感じた。
実際一緒に仕事してみないとわからない面も多いが。
学校が手配してくれた宿に戻ると、さすがに緊張していた
のか夕食を食べてからすぐに寝てしまった。ミシシッピか
らわざわざきたが、学校とそのスタッフを手っ取り早く知る
にはきてよかったと思う。
今先輩宅にいるので、非常に簡単に。
朝から飛行機を乗り継ぎ、車で無事NYCに着きました。
おいしい日本食をごちそうになりました。やっぱり
都会は落ち着くね。
心配事は学校があまりに田舎だったこと。キャンパス
から離れていても都会にすまなきゃだめだな、こりゃ。
2003年06月09日(月) |
パソコンの修理に時間を費やす |
終わってしまった試験を憂いても仕方ないので、やらなく
てはいけないことを少しずつ片す。まず預かってきたPC
の修理。いろいろいじくって調べていくうちに、何が
問題で、どうすれば解決すればいいかわかってきた。
Windows起動時に出るエラーメッセージはautoexec.bat
を少し書き換えることで回避出来るようになった。PCMCIA
のエラーはIBM 310E(お客様のPC)をWin95から98にアップ
グレードした際、有効なドライバがインストールされずに
そのままになっていたためのようだ。IBMのサイトにいって
もWin98用のPCMCIAのコントローラは提供されておらず、
困ったとWEBを彷徨っていたら、DOS用ので十分動くことを
知り、試しにやったら本当に動いた。この辺りは進化して
ないんだと勝手に理解する。これで外付けのモデムカード
をつけてインターネットやらメールの送受信が出来るのを
確認、見事お客さんからの依頼された2件の問題を解決した。
めでたし、めでたし。
しかし大トロを食べさせてもらったこともあり、もと営業
は日本語でいうサービスを提供することにする。ノートン
ユーティリティやマニュアルで不要と思われるファイルを
削除し、msconfigで起動時に立ち上げるソフトを減らして、
スキャンディスク、デフラグをかけた。これで少しだけど
でも十分に実感できるぐらいPCのレスポンスがよくなった。
さらにおまけでWindows updateを使って、現在のシステム
に必要なパッチをあてた。ここはお客さんが認識出来る所
ではないが、それでもやっておいて今後少しでも不便や
危険から避けてもらえるのなら、それでいいでしょう。
朝からやってて気づいたら夕方になってた。昨日のテスト
以上に集中してた気がする。
望みは捨ててませんが、終わってからブルーに入ってます。
手ごたえなく、前回より印象が悪い。意味がわからないの
が大きな問題で2問もあたた。
友達から連絡もあり、望みは捨ててないし、受かっていて
欲しいけど、でも今日は気分悪い。ふてねしよ。
おやすみなさい。
明日ルイジアナのラファイェットというところで、NATABOC
の試験をうけるが、その行く途中ということで知人のPCの
修理をしにニューオリンズに立ち寄った。(おまけに泊め
させていただいた。)
その人のPCは少しやっかいで、しかもインストレーション
CDなどを所有しておらず、何が問題だかを確認できたもの
の修理は出来なかった。おれって役立ず。仕方ないので
引き取って自分の家でいろいろ試すことにした。
本題はこれではなく、夕食で食べたお寿司だ。実は初めて
お会いした方々だったのだが、なんとニューオリンズで
日本人が握るお寿司屋さんに連れて行ってくれ、ことも
あろうにご馳走してくれたのだ。(PC直っていないのに)
実際に席につき「遠慮しなくて良いよ。」と言われても
値段を見て遠慮できずにはいられない。それを見かねて
か「じゃ適当によさそうなものから食べるか?」と言って
オーダーしてくれたのだが、なんと高いものから食べさせ
てくれた。まずは大トロ。これを食べたのはきっと昔の
接待のとき以来だと思う。その後は何を食べたか忘れたが
とにかくお腹がいっぱいになるまでお寿司をいただいた。
日本でもこんなことはなかった自分にとって非常に恐縮して
しまった。食べちゃったんだけど。
初めてだからお近づきの印、なんていわれちゃったけど
自分はまだ学生だし、大したこと出来ない。唯一できる
ことはちょっとしたPCの環境整備なので、今回のPCは
きちんと解決方法見つけないと、と心に誓った今日で
あった。
ちなみに留学してから今日初めてまともな寿司食べた。
今日自分で食べた分だけでも普段の2週間分以上の食費
だろう。おそろしー。
昨日の日記に書いた記事に関して、二人の方からサイトの
案内をいただきました。ありがとうございます。病気に
ついても僕の思い違いでイリウスではなくてイレウスなん
ですね。後者で検索したらいっぱいヒットしました。来週
時間が出来たら少し調べてみようかと思います。ちなみに
イレウスをそのままローマ字にしてileusとして英語サイト
を検索したらスペルはこれでよかったみたいでした。でも
発音はきっとイリアスが近いと思うんだけど、どうして
カタカナはイレウスなんでしょうね?だったら漢字表記の
日本語でいいのに。
さて試験も近く、勉強をしなくてはいけないので今日は
短く今後の予定を書こうかと。
明日はニューオリンズに行き知人宅でコンピュータ修理
を兼ねて宿を貸してもらう。日曜日は午前中ラファイェット
に移動し、午後NATABOC試験、夜に帰宅。来週は10日
から13日まで大学訪問のためコネティカット州へ。
一晩だけNYCに滞在して、日本の大学時の先輩の家にお邪魔
しますがね。どんな大学か見てきます。うれしいことに
飛行機代、宿代は向こうがもってくれるみたいなので
非常に助かりました。言ってみるものです。
それでは金曜の晩だというのに、また勉強します。みなさん
はよい週末をお送りください。
2003年06月05日(木) |
朝日新聞国際版の記事をみて |
今日よかったことは、かなりの出費を強いられたものの
車が帰ってきたこと。そしてなかなか気が進まなかった
ものの、アスレティックGAがとれた大学以外の大学院
に断りの文書をすべて(といっても2つだけど)送付した
こと。
昔会社の上司に「負の仕事をしているときは、どんなに
仕事をしていてもつらい。」という話しを聞かされた
ことがありますが、ここ最近の自分はまさにこの負の仕事
ばかりで気が滅入ってましたが、ようやく完了してほっと
していました。これでようやく前向きなことが出来るので
はないかと。
午前中にいろいろな雑用をして、遅い昼ご飯を食べたあと
図書館に行きました。そこでひさしぶりに日本語新聞を
読んだのはいいんだけど、また心を痛めてしまう記事を
目にしました。
5歳の子がお腹が痛くて早朝から病院に駆け込んだものの、
当直の医者に相手にされず夕方に亡くなってしまったと
いう事件でした。そこには前日遊んでいた姿の写真が
載っており、また当日お母さんが「お腹痛いでしょ?」
といっても気丈に「大丈夫」といって我慢。しかしその後
吐血し、あわてて医師が診るとすでにお腹はパンパン、かつ
内出血で真っ黒。容態は急変して戻らなかったとの事でした。
(死因は絞扼性イレウスという、どうやら腸閉塞に関すること
のようですが、ぼくはよくわかりません。)
何故これほどまでこの話しに敏感になるかと言うと、まず
以前自分の弟が似た症状に会い、2度の誤診のあとそれが
元で腸閉塞に遭い、すでに壊死した小腸の大部分を切り取る
手術をしているから。そして今その弟の子、つまり自分の甥
にあたる子がこれぐらいの年で、新聞に載っていた写真が甥
にだぶって見えたからです。
前日まで元気に遊んでいた子が次の日いきなり亡くなる、
しかも医師の怠慢によって、ということが例え身近で
なくても起きたとなるといたたまれない気分でいっぱいに
なりました。
例え末端でも医療関係に従事しようと考える自分に、この
事件はあらためてやる気を起こさせてくれました。
男の子の冥福を心からお祈りします。
P.S. この事件ウェブでひっかからないのですが、サイトを
知っている人がいたら教えて下さい。6月1日付けの朝日新聞
に載っていました。
まずあえて報告しておくと、今日も車の修理はあがりま
せんでした。明日だそうです。本当に大丈夫でしょうか?
さて、題名にある通りGAの件について今朝けじめをつけま
した。3月当初からずっとアカデミックGAに誘っていただ
いた大学とそのプログラムディレクターに辞退を申し出る
メイルを入れました。
本来はその大学でもトレーナーとしてアスレティックGAを
希望し、この担当の先生とは彼の在籍する学科を専攻する
ために授業に対する質問をしただけでした。しかしメイル
のやりとりしていくに、アメリカで大学院に進むにはどう
してもGAが必要というぼくの事情を察してくれ、アスレ
ティックGAのみならず、アカデミックGAの方も申しこん
ではどうか、と薦めてくれました。両方申し込んだら
そっちに迷惑がかかると伝えましたが、その辺りはぼくが
調整するということで両方申込みさせてくれました。
で結果アスレティックGAとしては落ち、アカデミックGA
の方は合格をもらいました。ある意味アメリカで勉強が
続けられるよう拾ってもらったようなもので、恩を感じ
ました。応募した他の大学のアスレティックGAは勝手な
向こうの事情でぽしゃり、他では残念ながら受け入れられ
なかったこともあり、今から2週間前は完全にこの大学に
行ってこの先生のお世話になることに決めていました。
しかし1週間ほど前の日記の通り、事態は急展開して急遽
アスレティックGAのオファーがあり、トレーナーという
仕事に未練があった自分は悩んだ末、そちらに行くこと
に決めました。しかしこの決定は上に書いたとおり、いろ
いろと自分を助けようとしてくれた先生に対して恩を仇で
返すようで非常に心が痛み、断りを入れるのなら早い方
がいいとわかりつつも今朝まで気持ちの整理がつきません
でした。
断りの例文などを見ましたがあまりにも淡白で、今の自分
に彼にこんなもあっさりとした断りを入れることは出来
ないと思いました。アメリカのビジネスメールの慣習と
して余り感情を入れすぎるのはよくないとはわかっていた
けれど、それでも彼に対する最大限のお礼とお詫びの気持ち
を入れないことは出来ず、いろいろと試行錯誤した末に
書き上げ、彼に送りました。気づいたら朝の5時でした。
彼が今年から立ち上げる新しいプログラムと彼自身の発展
を心から祈るとともに、彼への恩に少しでも報いれるよう
離れた場所だけれどもそこでがんばろうと思いました。
今日はちょっとくさくてすみません。でも彼へのメイルでは
日本語で書くようにうまく表現出来なかったので、この日記
はせめてもの懺悔です。
今日はくだらないPCゲームにはまってしまい、夜9時をすぎて
もまだ一歩も外に出ていない。やばいと思うので、あとで
散歩がてらジュースを買いにいこう。
それでも今日はいろいろと出願のための書類を作成もした。
あとは先生に推薦状を相手の学校に送ってもらうのみ。
お金を節約する意味でも1校か2校だけ出して終わらせた
かったのに、なかなかうまく行くものではない。まして
行こうとしている大学院、学費も生活費も高いしなぁ。
また貧乏生活か、と思うとちょっと悲しくなる。
こんな寂しさを紛らわすために、今日は一人でもんじゃ焼き
を作った。(誰ですが、それはまた寂しいと言ったのは。)
小さいころは自宅の鉄板でよく作ったものだが、最近
はかなりごぶさたしていた。それがひょんとしたことで
あるHPでみかけて、久しぶりに作ってみるかと思った次第。
あらためて材料を考えるとたいしたものがなく、あまり
身体にはよくないかなと思いつつも、つべこべいわず材料
いれて焼いてみる。そして味見。
おいしいじゃないですか。
決して身体にはよさげでないのが、逆においしい秘訣だろう。
カレー粉も混ぜてカレーもんじゃも。いやいけるでしょ。
これでベビースターがあればなぁ、と言ったら欲張りすぎか?
2003年06月02日(月) |
大人になったと感じる時 |
まず車ですが、今日仕上がる予定なのに電話がこない。
仕方なく閉店間際の5時ちょっと前に電話してみた。
「あの、緑の日産のピックアップの修理をお願いした、、、」
「わかるよ、あのねーごめんね、ちょっとトラブルが
あって、明日やり直してペイントして、水曜日の
午前中引渡しかなぁ。」
「そうですか、じゃ終わり次第電話下さい。」
「もちろん、君の電話番号はちゃんと控えてるし。」
ということで2度目の延長に入りました。ま、怒っても
仕方ない。車なし生活が2日伸びただけだ。
それと今日は留学生オフィスからメイルがきてdiploma
(卒業証書)を取りに来いとのこと。何のために転送住所
を教えたんだと思うも、郵送させたらいつ届くかわから
ないので直接取りにいくことに。すると紙一枚渡された。
あれ、カバーは?と聞くと卒業式でもらったでしょ、との
返事。トレーナーの仕事で卒業式に出てない、と言うと
じゃ自分でRegister Officeに行ってとってきて、との
こと。
一体いつまで人を動かせば気がすむのか、どうして気を
きかせてくれないのか?と思うもここに期待すること
自体が無理なので、怒らず自分で取りに行った。
おれってお・と・な。
残念ながらUSMの野球は今日負けて今シーズンを終了した
ようです。もう少しがんばって欲しかった。
さて今日はがきんちょ健康診断に借り出されました。もう
ぼくもこの参加は3年目で扱いにはもうなれました。もし
知らない人のために書くと、これは夏大学でちびっこ向け
のキャンプがあり、その前に必ず彼らに健康診断を受けさ
せ、医師、親の同意のもとにそれに参加させるためです。
もっといやらしく言えば訴訟対策ですが。
でまたなぜか今年も身長と体重と視力検査。がきんちょ
とのおしゃべりもそこそこに、数をこなした。しかし
奴らはうるさい。何故あそこまでぴーちくぱーちく
話すのか。
で3時半頃無事終了。さて約束された昼食のピザを食べよう
とすると見当たらない。えっ、どこ?って聞くとまわりは
「えっ食べてなかったの?」ひどい、普通だったら参加者
を確認して(しかもボランティアだよ)きちんととって
おくべきなのに、知らせてもくれなかった。はっきり言って
むかついた。
やっぱりアメリカ人は自分たちさえよければいいという、
ひどい人たちである。
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