2013月4月


2013年04月30日(月) ペガサスパレード in ルイビル

ケンタッキーダービーのお祭りの延長でパレード

大学から連絡がありました。5月2日にはダウンタウンでパレードがあり、交通規制に注意すること、だそうです。しかし1年目なので、どこでどんなパレードがあるかさっぱりわかりません。やっぱりケンタッキーダービー関連のイベントであることだけはわかりました。

パレードだから誰でも見れるのかな、と思ってHPを覗くとチケットがいるらしいです。いくらかと思ったら、すでに売り切れていました。なんだよ。でも5時からのようだから、ラボの建物からもしかしたら見えるのかも知れません。調べたらBroadwayという通りを17ブロックほど行進するとのことでした。

人手予想は20~30万人とか。経済効果は22百万ドル(約22億円)と推定されるから結構すごいな、と思います。どんなものなんでしょうね。

Pegasus Parade

(パレードに参加するセレブがここに記載されてます)

2013年04月27日(土) IKEAで夕飯無料に

IKEAの食事無料クーポンはお得

サウスカロライナを去る際、荷物を減らすために断捨離を行いました。しかしケンタッキーに着いてどうしても家具が足りず部屋が散らかっていたので、オハイオ州シンシナチ郊外のIKEAへ行きました。そこで必要な棚やフレームを購入しました。清算の際、レジで「上でご飯食べた?」という質問があり、食べていない、と言うとそのままスルーされたので不思議に思いました。

何だったんだろ?とほかの店員に聞くと、今週末は150ドル以上購入すれば、フードコートでの食事が全額無料とのこと。本当は家具を購入する前に食事するのが薦められるが、家具購入後でも上で食事し、金額が書かれたクーポンをカスタマーサービスに提出すれば、その分割引だよ、と教えてもらいました。なら食べるでしょ、ということで上に戻って食事。いつもは単品ばかりだが、ここぞとばかりに4品ほど頼みました。

本当に全額返金されるかな、と思って後でカスタマーサービスに行くと、確かに返金してくれました。しかも上限なしに、食事代全て。これはすごいです。大家族で食事しても全て控除してくれたんだろうか?と考えました。もしそれが本当なら、なんて太っ腹。

またこんなキャンペーンが出たら、行ってみてもいいかも、と思います。

無料チケット

2013年04月26日(金) Ballon Glowによるライトアップ@ケンタッキーダービー・フェスティバル

ケンタッキーダービー関係のイベントが続いています。今晩は仕事を早めに(=7時)に切り上げ、ルイビルの空港から程近い、フェアーグランドまで行って熱気球を見てきました。フェアーグランド内の駐車場は混んでいたので、すぐ左に曲がり、Crowne hotel前のボウリング場の駐車場に入れました。

このイベントは熱気球をその場で膨らまさせて、ライトアップをするもの。ラジオの実況中継にあわせてスポンサーを紹介しながらきれいに火を入れて、点灯していきます。

様子を説明するより動画見た方が説明早いですね。

参考動画:WATCH: Great Balloon Glow from WLKY Chopper HD

(編集注:以前の動画のリンク先が切れていたので、2019年の動画に切り替えています。)

ちなみに夜には気球飛びません。気球を飛ばしてレースをする日は別な日に設定されています。

2013年04月24日(水) 大学図書館での粋な計らい

大学はどうやら期末テストが始まっているようです。学生がせわしなく勉強しています。

そんな中、用があって6時過ぎに大学医学部の図書館に行きました。中に入ると、なんとテーブルの上にスナックが。無料でもらえるそうで、試験勉強で頑張る学生への配慮だとか。

今までいろいろな大学行ったけど、こんな計らいなかったな。医学部の生徒はいっぱい学費払っているせいもあるかも知れませんが、羨ましいです。

参考記事:EP11. 留学8日目 図書館に居場所を見つけよう

編集後記:一般にアメリカの図書館は日本のそれより自由度が高いです。特に飲食に関して緩く、コーヒーや水など飲料を売っていますし、食べても飲んでも怒られることはありません。ここの大学は医学部とメインキャンパスが少し離れていて、医学部の図書館にしか立ち寄ったことがありませんが、ディスカッションをする部屋にしても、グループスタディーする部屋にしても、綺麗で今風のホワイトボードが備え付けてありました。図書館の中を見ても、その大学がどれほど生徒をサポートしているか、よくわかると思います。

2013年04月22日(月) 松坂ルイビル来るか?

ケンタッキー・ルイビル市にはプロ野球チームあり

ここルイビルにはバッツというAAAに属するプロ野球チームがあります。スラッガーフィールドという川に程近い球場がホームで、ダウンタウンにあります。目の前にはバーやレストランが広がり、なかなか立地のいいところです。マイナーとは言え、スタジアムの雰囲気は悪くありません。

日本人投手・松坂選手が試合で来るか?

さらに今年はお隣、同じデビジョンに属するオハイオ州コロンバスのチーム、クリッパーズに元西武&レッドソックスの松坂がいるので、彼がルイビルで投げるのなら、一度ぐらい見に行って見ようか、と思います。球団のサイトを見ると、彼はまだメジャーにあがっていないどころか、トリプルAでもいい成績を残せていない様子。

マイナーリーグの統計

間隔を見ると中6日で投げているので、このままの間隔で先発すると仮定すると5月30日@ルイビルで投げるはずです。

まぁ、彼がここまでマイナーにいるかどうかもわかりませんが一応気にかけておきます。ちなみにルイビルバッツのHPには予告先発が出ているので、そこでチェックできます。

ルイビルバッツ

彼の雄姿をルイビルで見てみたいものです。来ないでしょうか?

2013年04月21日(日) カレッジバスケのヘッドコーチの給料

祝ルイビル大学男子バスケ・NCAAトーナメント優勝

先日NCAAのバスケットボールトーナメントがあり、ルイビル大学が第1シードの重責を果たして優勝しました。市内では大騒ぎになりましたが、ラボのまわりでは話にすらあがりませんでした。研究ばかりしているラボというところは、ある意味非常につまらないところです。

バスケットボール・コーチの給与

たまたま別件で調べ物をしていたところ、ここのヘッドコーチとお隣の昨年優勝を遂げたケンタッキー大学のヘッドコーチの給与がわかりました。

Bluegrass basketball coaches bring in the bucks(2023年6月リンク切れ確認)

トーナメントに出場した公立大学でルイビルのヘッドコーチは一番お金をもらっているようです。その額$5ミリオンを少し下回る程度。つまり4億円はもらってる、ということです。で、隣のケンタッキー大の人は今回トーナメントに出場できなかったが、5.4ミリオンだとのこと。全くフットボールに負けてません。さらにうちの大学のアスレチックディレクターいわく

「それでもバーゲンだ、むしろ十分に支払っていないぐらいだ」

うらやましい限りです。こんなにもらっている研究者は世界で何人いるんでしょうか?こんな時間とお金をかけ、努力してもほとんど報われない職業はなかなかありません。職業選択間違えました。

2013年04月20日(土) ルイビルの花火大会、見ました

先日記したように、ケンタッキーダービーのお祭りの一環として行われる花火大会を見に行きました。ルイビルに着て初めて見る大会でした。

オハイオ川近くの花火絶景ポイントは日本の花見のように朝から並んでいい席をとらないといけないらしいので、自分は予定通り自分のラボのあるビル、ただし14階から見ました。結果から言うと2つの会場の花火が良く見え、また室内のため寒くない、快適でした。

写真もとったのですが、いい絵ではないので、動画をここに掲載しておきます。

編集後記注(2023年6月):当時リンクを貼っていた動画が削除されてしまったので、新しい動画へのリンクを以下に載せておきます。

Thunder Over Louisville 2017 Full Coverage

確かに打ちあがった数も多くいい花火大会でした。地元の花火を思い出しました。

2013年04月19日(金) ケンタッキー州在住日本人増えるか?

最近急に暖かく、むしろ暑いぐらいでかなり花粉が飛んでます。鼻水、くしゃみ、目のかゆみが絶好調です。ただ今日は40F台前半まで冷え込み、多少和らいだ感がありました。

私が住むのはルイビルですが、ここケンタッキー州にはレキシントン郊外に大きなトヨタの工場があると聞いています。

Toyota Georgetown Assembly Plant

アメリカで売れ筋の「カムリ」を作っているのはここのはずです。ナッシュビルの日本総領事館によるとレキシントン付近だけで1200人以上いらっしゃるらしいです。

在留邦人数(平成21年10月1日現在の在留届に基づく)

でも以下の記事から推測するとさらに増えるかも知れません。

北米向け レクサスES350、2015年夏より米ケンタッキー工場で生産

会社がどのぐらいダイナミックに人を動かすかわからないけど、新規で雇用750人を予定するのなら、それを指導する人も増えるのではないでしょうか、ね。

編集後記:アメリカ中西部は日本の自動車産業が多く進出しています。当時ケンタッキーの北東部、実際はオハイオ州シンシナチ市の経済圏にトヨタの北米営業所があったはずですが、最近テキサス州のダラスに集約されたので、恐らくそこの人数はかなり減ったと想像します。またUPSという配送業者の国際ハブ拠点はルイビルで、UPSによる海外の発送はそこに集約されていました。日本の会社ではクロネコヤマトと提携していて、宅急便をそこから日本へ送れた記憶があります。

2013年04月18日(木) ルイビルの花火大会

ルイビルといえばケンタッキーダービーが行われることで多少有名ですが、それに向けてだんだんと市が盛り上がりつつあるようです。街には期間限定のダービーグッズを売るお店も出ています。

そのお祭りの一環で、今週末は航空ショーと花火大会があるようです。

Thunder Over Louisville

ホームページを読むと本大会は北アメリカでもっとも大きな花火大会の一つ、と言ってるけど、本当ですかね。航空ショーは午後3時から、花火は夜9時半からだそうです。

ルイビルの花火

編集後記:4月はルイビルに春が来て、ケンタッキーダービーが行われるまで色々な催しが市で開かれます。日本以外で見た花火ではここが一番でした。いい場所で見るには場所取りがそれなりに必要です。大学付近は関係者以外、車で入れなくなりますが、関係者(大学のID所有)だと別に家族が車に乗っていても中に入れるのは内緒です。

2013年04月17日(水) HPパビリオン(ラップトップ)の液晶画面取替え

自分でパソコンのLEDパネルを交換したときの備忘録。

HPのパソコンを使っていたが、ある日突然ブートしても画面が立ち上がらない。何度やってもだめなので、ついにマザーボードがいかれたか、と思ったがデータは生きているかどうか確認するために大学のIT部門にお金払って診断をしてもらった。結果的に液晶パネルのライトが切れただけでほかは大丈夫とのこと。ライトだけの交換、という手もあったが、面倒なのでパネルごと交換することした。ちなみにパネルはLCDからLEDに変えてみた。

予算:HPのパネル(13.3" WXGA Glossy LED Screen)
ebayで$84.98。自分のラップトップにあうものを買うのが鍵。パソコンの型番を調べればどれを買うべきかは簡単にわかる。

参考サイト:http://www.screencountry.com/?section=videos&brand=HP-Compaq

ここの動画を1度見て、自分で問題なくできるなと確信した。ちなみに大学のIT部門に依頼すると$60と言われた。ただし診断後、パネルを無理やり押し込んだようでパネルとマザーボードを結ぶケーブルの絶縁部分に新しい傷を見つけたので大学のITには絶対依頼するつもりはなかった。Staplesなどに頼むと100ドルは最低かかるようだが、自分でやればかかるのは時間だけ。

作業はパネルをはずし、新しいものをとりつけ、コードを2つほど取り付けて、最後にねじをはずしたときと逆にとりつけて終了。多少もたついても30分で問題なく終了した。難しくもなんともないし、危ないこともなかった。

新しいものを取り付け後、電源を入れると無事Windowsの画面が出てきた。LEDで気持ち画面もきれいに見える気がする。

このぐらいの修理は自分で、という典型の作業でした。

2013年04月16日(火) この時期に車がオーバーヒート?

大学のラボからの帰り際、高速を走っていると車のエンジンの温度を示すゲージがHigh近くになってる。えっまだ暑くもないのにオーバーヒート?エアコンもつけてもいないのに、である。しばらくするとHigh側に振り切れてしまった。

アパートまで近かったので、ゆっくり走って、駐車場にとめボンネットを開ける。よく見たらラジエータキャップが開いたままになってる。ということはCoolant(冷却水)が蒸発?したのか。予備タンクも空になっているように見える。エンジンの空炊きをしていたようなものだ。

思い起こすと1週間ぐらい前に大学近くのファイヤーストーンでオイル交換し、点検をしてもらった。チェック項目に「coolant flushを推奨」と書いてあるので、彼らが開けて閉め忘れたんだろう。それともやる気満々だったのに「点検だけで何もするな」といったのが癪に障ったのか。

やっぱりFirestoneはだめだ、二度と使うのやめよう。

で仕方なく夜中だけど近くのウォールマートまで別の車を走らせ、Coolantを買いに行った。今回は応急処置で付け足すだけなのですでに水で割ってある50/50のものを買った。アパートに戻り、Coolantを付け足すこと10分。キャップを閉めてエンジンを回してがしばらくしても温度がほとんどあがっていないので、取り急ぎこれで大丈夫みたいだ。

時間が出来る週末にでも、自分できれいにして新しいCoolantを入れようと思う。

教訓:アメリカのサービスとはサービスではないことが多い。

2013年04月12日(金) 懲りないお知らせ-ブログ、またはじめることにしました

npng2010.blog.ss-blog.jp.側の記事より

いろいろと考えることがあって、ブログを別のドメインで再開することにしました。今度は時間があるときに気楽に書いていくつもりです。こっちのサイトは母の記録を少しずつ書いて予定通り終わりにしますが、気分的な問題もあって、なかなか筆が進みまないのが正直なところです。

もし駄文にお付き合いいただける方は

http://npng2013.blog.so-net.ne.jp/

をごらん下さい。4月12日の母の誕生日から、また始めました。いつまでも落ち込んでいられないので。

npng2013.blog.ss-blog.jp.側の記事より

以前ブログをつけて止めたけど、ドメインを変えてまた始めることにしました。目的が違うので今度は気楽に、頻度は多少落としてやろうと思ってます。

内容は基本的にスクラップブック、もしくは備忘録です。今度は写真を増やせればいいなぁと。

一応ここでは最初のページなので自己紹介をするとアメリカ在住歴は13年強、ミシシッピ→コネチカット→ミシシッピ→サウスカロライナ→ケンタッキーと移り住んできました。日本では関東地区出身です。

現在は大学で博士研究員(ポスドク)してます。毎日遺伝子改良されたマウスの世話をしては実験する毎日です。マウスの手術は得意ですが、主に犠牲にするのが専門です。骨格筋が専門ですが、最近心筋も勉強し始めました。

スポーツが好きです。私自身学生時代は部活でアメフットをしてました。でも今は運動不足を痛感しています。体型もどうにかしないといけません。自分でははっきりおぢさんを自覚しています。要改善です。

旅をするのなら行き先も期間も決めない一人旅(=放浪)がいいです。でも今は家族がいるので、そんな旅はなかなか実現しそうにありません。現在は時間もありません。

とりあえずそんなところでしょうか。よろしくお願いします。

2013年04月11日(木) 1月12日、母の人生最期の日その3 [2012年12月末、最後の2週間]

期間はかなり経ちましたが、完結するために書き留めます。

医師の所見により亡くなったことを確認。母の身体はすぐに霊安室にすぐに移送されたが、医師が来る前だか来た後だったか、看護婦さんが電極や装置を外す際、母の顔や見える肌の部分もきれいにしてくれたことを記憶している。彼ら本来の仕事でないが、その心遣いには素直に感謝した。

大きな病院には葬式の手配などする人が24時間待機している。病院が連絡するとすぐに担当者がきた。ぶっちゃたけた話、病院側も遺体をいつまでも安置しておきたくないんだろう。一方で葬儀屋の担当者も仕事とは言え大変だと思う。いつビジネスが来るかわからないしいつも黒い服を着ないといけないし。

ただ葬儀を行う側としては、ちょっと前に身内を亡くしたのにすぐに話をされても金銭的に冷静な判断をするのが難しい。デフォルトはこれで、金額はこれだけで済みます、とは言われても後でわかるがそれで終わるわけではない。オプションが沢山有るのだが、向こうもビジネス営業攻勢をかけてくるのが常。私の母は決して大きな葬儀を希望していたとは思わないが、結果的には出席者数の割に立派な葬儀となってしまった。自分の時は生前に契約しておいて、最後にバタバタして身内に迷惑をかけないようにしよう、と心から思ったことを覚えている。

希望の葬儀場が開かずすいぶんと待たされたが、その間母は数日家にいることが出来た。1月13日か14日には東京で雪が降ったかと思う。自宅の庭の外に積もった雪が綺麗だったことを記憶している。

葬儀はいわゆる滞りなく進み、終えることができた。ここ数日ほとんど寝ていなかったが、いまいち眠につけなかった。それでも仕事なのでアメリカに一度戻る手続きをし、航空チケットを手配した。このときデルタ航空にはよくしてもらったことを書き留めておきます。

それと49日の法要にも弾丸で帰国しました。2泊4日だったかな。それでも最後まで見届けることができたのはせめてもの救いだったかと思います。



(編集注)この記事は実際のところ2017年7月13日に書いたものです。

2013年04月10日(水) 1月12日、母の人生最期の日その2 [2012年12月末、最後の2週間]

この記事はかなり経ってから記述しているので、記憶違いのこともあるかもしれません。ご了承ください。

面会時間をすぎたものの個室では付き添いが可能。今夜は長くなりそうなので父と相談していったん家に戻りシャワーだけ浴びることにした。家と病院は車で15分くらいのところだったが、帰る途中いきなり父から電話。呼吸が止まった、すぐに戻ってこい、とのこと。びっくりしてUターンしようと道をさがしていたら、また電話。呼吸が戻ったので、シャワー浴びていいよ、とのこと。なんだよ、どっちだよ、と思う。

家に戻って慌ててお風呂をわかし、急いでシャワーを浴びた。父もおなかをすかしていると思うので、コンビニでおにぎりやパン、飲み物を買って病院に戻った。

病室に戻ると交代で食事をとった。もちろん病室ではとれないので歩いて1分の休憩室で。母を見ると相変わらず浅い呼吸をしていた。たまに止まったかと思うときもあったが、その後ふぅーっという感じでふつうの呼吸に戻り、このままいてくれたらと思うと、急に浅くて顎で呼吸になったりした。ちなみにこの病院では(それとも母の場合?)酸素マスクをつけたりしなかったが、個人的な意見としてそれでもよかったと思う。意識のない状態では痛みもないだろうし、酸素マスクをつけても摂取できる酸素の量がそれほど変わるとは思えなかったから。

心電図を見ると波形も弱まっているのもわかった。心拍も徐々に落ちている。呼吸と違い、これは戻ることはなかった。心臓の動きも弱くなっているのか、装置が心拍数を測定できずいきなり0を示すことがあったが波形はかろうじて見えていて、また検出できるほどの心拍があると、低いながらも数値が復活した。ただゆっくりと心臓がその動きを止めようとしてのは心電図の波形を見ていればよくわかった。

母の顔を見ると少しでも酸素を得ようとがんばって呼吸しているのがわかった。手を握ればまだ暖かい。当たり前だが心臓から血液が押し出されて血流がある証拠だ。どれだけがんばれるかなぁとおぼろげに思っていた。最後にちょこっと意識が戻らないかなぁとも期待した。

ただ最期はあっけなくきた。呼吸がないように思え、あれ心拍も0。波形を見ると限りなく低い波が1つあるかないかきたと思ったらあとはぴーんと1直線。ドラマでは何度でもみたようなもの。その後再び波形が現れることはなかった。自分もCPRやAEDに心得があったのでその場でやろうと思えばやれたが、母も望んでいなかったし、担当医もやってもろっ骨を折るだけでしょう、ということだったのでそのままに。母の顔をみたが安らかで、悲しいというよりむしろお疲れさま、頑張ったねという言葉が浮かんだのをはっきりと覚えている。あらためて感謝の言葉を伝えたことは言うまでもない。

誰かを呼ぼうと思ったら、看護婦さんがすぐにかけつけてくれて担当医を呼んでくれた。自分は病院内にはいたがそこにはいなかった父や弟を呼びに出かけた。

その3に続く。

(編集注)この記事は実際のところ2016年1月24日に書いたものです。

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