留学する前に

英語

思いつく限り、自分の英語勉強歴を記します。他人にいいかどうかは全くわかりませんがご参考まで。

1.英語の勉強を始めた時期

小学校6年生の終わり、年が明けて人生で初めて塾に行き(週1回)始めたとき。教材は教科書のみ。その塾の方針で毎週1章ずつ全部日本語訳した後、次週までに暗誦を課せられた。やり方は毎日20回ノートに教科書の内容を書くこと。1週目は1章だけでいいけど、5週目になると5章全て毎日20回書かないといけなかった。2年生の教科書に入ると、さすがに1年生の内容の分は免除されたが、それでも文章も長くなったし章が増えると大変だった。これをその塾やめるまで(2年生の途中)行った。書きあげたノートは何十冊になったと思う。理屈抜きの暗記だけをした。

親に勧められNHKラジオ基礎英語を中1になってから始めたが、朝6時からの放送だったこともあり、睡眠学習だったと思う。秋にはテキストすら買うことを辞めた。

これ以外の英語との接点は人並みの受験勉強だけ。ただ洋楽を少し聴き始め、ビートルズや当時はやっていたWham!とかCulture Club、マイケルジャクソン等の歌をいくつか暗唱したことはあった。もちろん意味はわからず、カタカナで歌っていた。MJの「スリラー」は少々振り付けも。

2.高校、予備校

3年間塾にも通わず、個人で学校の勉強、通信教育のZ会および受験勉強だけ。ただ人並みに当時有名だった旺文社の「英文標準問題精講」とか、Z会の「英作文のトレーニング」とか、駿台の「英文解釈教室」「英文法頻出問題演習」などは全て最低3回はやった。結果理系志望としては英語は出来た方だった。予備校時代は理科系科目に力を入れたので、英語は全く伸びず。因みに国立志望でもこの当時ヒアリングはないので、聞くトレーニングはこの頃全くやっていない。

3.大学、大学院

大学1年次、英会話が必須であった。週3回、朝8時から授業があり、1分でも遅れるとドアを閉めるカナダ人の先生だった。スキットがあり、毎回内容について英語で質問を要求されて結構厳しかった。でもそのおかげでイディオムや例文を暗記したし、今でもそれを日常会話で使っている。本格的に英語を口に出してネイティブと英会話を練習したのはこの時が最初であった。一方で英語の授業もあったが、長文講読で退屈極まりなかった。

4年生になると研究室に入り文献を英語で読むようになった。英会話には関係ないけど、結果的にTOEFLのリーディングの練習には役に立ったのではないかと思う。ただ読んだ量が少ないので、どれだけ役に立ったか、と言われるとかなり怪しい。

4年生の終わり、部活の同期と初めて海外(サイパン)に行った。海外はおろか飛行機に乗ったのも人生で初めてだった。必要があれば英語で話をする機会はあったが、帰国子女の友人がほとんどやってくれた感は否めない。ともあれ初めて英語を話す環境に4日ほど身をおいた。

大学院修士過程に入って就職を意識し(=英語を使えた方が給与がいいかも?と考えた)、週に1回夜間に行われる社会人向け公開講座の英会話を取った。自分が在籍するキャンパス内で授業があり、在校生は2割引なのも大きかった。このときに出会った先生は留学直前まで色々と相談にのってもらったり、願書やエッセイの添削をしてもらったりして大変お世話になった。 また就職に関しても社会人のクラスメイトに色々と話しを聞けてためになった記憶がある。受講料が安い分1クラス当たりの受講者は多いが、いい先生と友人(先輩)に恵まれ、費用対効果は非常に大きかった。因みに社会人向けの公開講座は今やどこの大学でも開講しているはずなので、お近くの所で試すことを勧めます。

4.社会人時代

米系のIT会社に入ったので本社からのメールも新製品のマニュアルも英語だったが、お客さんは日本人なので日常は日本語のみ。担当が移動体通信で、当時先行する海外のソフトを日本に紹介しては各会社ごとにカスタマイズするプロジェクトに入っていたため多少英語と接点はあったが、それでもエンジニアさんの方がアメリカのソフトハウスと連携して仕事していたのでもっと英語を使っていたと思う。

これではいけない、と思いNHKラジオ英語会話とやさしいビジネス英語を会社2年目のどこかから聞き始めた。今回は危機感があったので本当に良く続いた。土曜か日曜日に再放送があったので、平日聞けないときは週末穴埋めして2年間は欠かさず聞いたと思う。ただやったことは、テキストを見ながら聞いて、毎日3つの重要な表現をノートに写すことだった。たまにぱらぱらっと気に入った表現を見直すことはあったが、全てを暗記することはなかった。

多少お金に自由もあったので、「イーオン」という英会話学校を試した。週1回か2回、1年ほど通ったと思う。結構高かったけど、確かに少人数制だった。別に教材も悪くないし、先生も悪くなかったけど、対費用効果的に良かったどうかはわからない。自分に学ぶ姿勢があれば、しゃべる機会は少なくても、大学の公開講座とNHKのラジオ講座で十分な気がする。あと度胸をつけたい人は夜に六本木、西麻布、恵比寿あたりのバーに行けばいい。

こんな風に毎日少しずつ(40分)接点を持ったおかげか、社会人になって初めてなんとなく受けたTOEICでゆうに800点を超えていた。自分もびっくりしたが、それを見た会社の人事と通っていたイーオンの担当者がもっとびっくりしていた。継続は力なりなんだと思う。ただしこの時まだ留学を考えておらず、将来もっと給料をもらうための足しになればと思っていた。

5.留学直前

会社が合併などで環境が目まぐるしく変わり、仕事の方向性を見いだせず4年目の途中で退社した。大人の事情により「留学」という言葉を出して辞表を出したが、まだTOEFLを受けたことなかった。こんなタイミングで会社を辞めたのは人生設計上よろしくないが、当時の状況を考えると仕方がない。1ヶ月ちょっとお休み中(無職とも言う)ラジオの英語会話とビジネス英語を続ける傍ら、留学を意識してサイマルアカデミーのTOEFL直前対策集中コースを受講し始めた。初めて解くTOEFLの練習問題の内容に圧倒されたが、先生がやさしく、必要なときは彼の自宅にFAX(当時はこれが主流)を送っては添削をしてくれた。全部やりこなせなかったが、危機感をあおるにはすごく良かった。当時の目標600点には一発で届かなかったが、自分の目標とした学位(というか資格)は必ずしもその点数を取らないといけない大学ばかりではなかったので、最初の点ですぐに出願した。3つ出して3つとも合格をもらったが、最初に合格をくれ、生活費と授業料が安かった大学に行くことにした。今回は資格を取りに行くための留学で予算に限り(=自分の貯金)があるし、いわゆる有名大学にぶらさがりに行くつもりではなかったので、この判断は今でも概ね間違っていないと思ってる。結果、正社員辞めてからプー太郎経験後、派遣社員として3ヶ月ほどカナダ系情報提供会社で働いて留学。行き当たりばったりだったが4ヶ月ほどの準備でアメリカに渡れた。

6.留学初期(学部時代)

TOEFLで留学に必要な点をとったが、アメリカで学生生活を送るとなると話は別。初めての学期、授業では一番前で聞き、授業後には毎回先生の所に行って、宿題の確認をした。自分がきちんと聞き取れたか不安だったから。事実半年ぐらい経って、先生が来週休講と言ったのを聞き取れず、ある日教室に行ったら自分ひとりしかいなかったということもあった。それでもクラスメイトは総じて優しく、助けてくれた。スピーチの授業を留学して最初の学期に取ったが、つたない英語の発表を何度も聞いては良く理解してくれたと思う。

留学初期は次の授業の範囲のテキストを前もって全て読み、わからない単語は全て調べておいた。当たり前だけど学部の授業とは言え英語で読む量の多さに圧倒され、毎晩夜遅くまで図書館にいた。ただこれを継続すると2度目の大学(学部)在籍のこともあり、テストでは他の生徒を圧倒してしまっていたので、渡米3ヶ月あたりから成績を維持できる程度にクラスメイトと付き合う時間を増やした。専攻しようとしたもの(アスレティックトレーニング)が会話出来ないことには始まらない学科だったので、これはこれで良かったと思う。

留学手続き

このHPの目的にもあるように、一切業者を介さず全部自分で調べてやった。必要なサイトや書類を読み、自分で手続きを行うことは留学生活で必ず役に立ち、海外に住む上で起こりうる災難から自分を守る基本を身につけることが出来る。アメリカは特に自己責任を謳うわりに対応は人によってまちまちでいい加減な国なので、それを知るにも非常にいい機会である。このステップを踏まないと後々もっと大事な場面で良からぬ苦労をします。際限なくお金がある人は例外ですが。

1999年、インターネットやメールは未熟ながらも普及していたので、”admission”、”international"をキーワードに出願条件をネットで調べては準備をし、疑問点は大学のアドミッションオフィスや教授にメールを送った。ただそれほどレスポンスが良かったわけではなく、メールで連絡がないと思い切って直接電話を入れたが、会話した内容は「メール入れたから、見て」。

出願そのものは色々国際書留で送った記憶があるので、オンラインではなく紙ベースだったと思う。郵便が行って来いするのに時間がかかり、ずいぶんと前から準備して出願する必要があった。今はネットで出来るので、本当に羨ましい。もっともI-20などの書類は今でも郵送で送られてきますが。

資金繰り

私の場合日本ですでに大学を卒業(化学専攻)していたが、自分が目指したATCになるには学士入学でも決められた学期数(4)の実習をこなす必要があった。またpre-requisiteと呼ばれる授業をプログラム入学前にアメリカで取る必要があったので、渡米前から卒業まで3年かかることがわかっていた。従って授業料生活費を含めて3年間やっていけるだけの資金を会社勤めで貯めてから、留学した。予算はざっと年200万円程度を見積もったが、節約しただけでなくミシシッピの物価の安さ、途中から奨学金や部分的に授業料免除などをもらえてかなり安く抑えることができた。また夏に授業を取ってもお金をもらいながら大学のアスレチックトレーニングルームで働けことも幸いした。

大学院の修士課程以降はすべてアシスタントシップをもらえたので授業料免除+毎月の生活費(独身なら贅沢は出来ないけど生活は普通にできるぐらいの月給)があり、基本遊びや急な出費以外自分の懐からお金を払わずにすんだ。卒業後のOPT(プラクティカルトレーニング)でもお金を多少貯めることが出来た。ただこれは比較的物価が安くアシスタントシップのカバーの度合いが高い南部だからできたことで、物価の高い西海岸やニューイングランドでは自腹を切らないと無理なことは言うまでもない。

Last update: 10/29/2022